リョウジュンカンは、NPO法人化を目指している任意団体です。

リョウジュンカンは、福島県郡山市で活動するグループです。

「困っている」と感じている、不登校・ひきこもり・ニート・SNEPの若者たちの自立支援と、その家族支援を行なっています。

「家族療法」「スクールシャドウ」「認知行動療法」「アサーション・トレーニング」「ソーシャル・スキル・トレーニング」「ジョブ・トレーニング」「学習支援」を主な軸として、さまざまな支援を提供します。

※2013年度中に活動開始予定です!もうしばらくお待ちください!

ようこそリョウジュンカンへ

私たちRyoJunKanは、「困っている」と感じている、不登校・ひきこもり・ニート・SNEPの若者たちの自立支援と、その家族支援を行なっています。

「困っていると感じている」というところがポイントです。

私たちは、「困っている」と感じていない人々には、支援サービスを提供しません。

それのどこが問題?

「不登校は問題だ」「ひきこもりは問題だ」「ニートは問題だ」――私たちは何度もそのような言葉を聞いてきました。

でも、こう問い返したいです。

「それのどこが問題なの?」と。


私たちは、こう考えます:

  • 「不登校」であることそれ自体はまったく問題ではありません
  • 「ひきこもり」であることそれ自体はまったく問題ではありません
  • 「ニート」であることそれ自体はまったく問題ではありません

「問題だ!」と思いたい人たちが、勝手にそう思っていればいいだけのことです。


では、「問題」はどこにあるのでしょう?

言いかえれば、「支援」が必要な人は、どこにいるのでしょう?

私たちは、こう考えます:

  • 「不登校」であることで、「困っている」と感じている人には支援が必要です
  • 「ひきこもり」であることで、「困っている」と感じている人には支援が必要です
  • 「ニート」であることで、「困っている」と感じている人には支援が必要です
  • それらのどれでもなくても、「困っている」と感じている人には支援が必要です

とてもシンプルで、わかりやすい立場だと思いませんか?

RyoJunKanのアプローチ

不登校・ひきこもり・ニート・SNEPになる理由・原因には、さまざまなものがあります。

とくに近年、アスペルガー症候群(AS)などの自閉症スペクトラムと呼ばれる「高機能広汎性発達障がい(HFPDD)」・「学習障がい(LD)」・「注意欠陥多動性障がい(ADHD)」――これらを総称した発達障がい(DD)が、背景にあることが指摘されています。

社会不安障がい(SAD)や、うつなどの気分障がいも多いでしょう。

しかし、RyoJunKanでは、そうした「ドクターからの診断名」にはこだわりません。

ひとりひとり異なる特性を持った、「サポートを必要としている個人」として捉えます。

もちろん、ドクターによる治療は必ず続けてください。

「治療」とは別に、個別のプログラムを、カウンセリングをもとに、スタッフと本人とご家族で、協力しあって作成します。

そしてなにより、このRyoJunKanが、「ホーム・ベース」として、安心できる居場所を提供できることが、最大の目的です。

「いままでなかった遊び場」と思って、気軽におこしください。

RyoJunKanの特徴は、「家族療法(家族心理学)」をベースとしたアプローチと、「応用行動分析学(ABA)」をベースとした「スクールシャドウ」を行うところです。……などと、専門用語が出てきたからといってみがまえる必要はありませんよ!

より密接に、かつ包括的に、いっしょにもんだいに取り組んでいく、そうしたグループだと、今のところは考えていただいて構いません。

不登校の生徒には学習支援を(学校の勉強に遅れてはいけませんからね)、

ひきこもりの若者には認知行動療法ソーシャル・スキル・トレーニングを、

ニートの青年やSNEPには認知行動療法アサーション・トレーニングを(もちろんジョブ・トレーニングも)、

などなど、それぞれのニーズに合わせて、プログラムをある程度自由に組み合わせることが可能です。


「認知行動療法」と一言で言っても、ADHD向けの認知行動療法もあれば、うつ病向けの認知行動療法もあります。

また、年齢によっても異なるアプローチをしなければなりません。

私たちはグループで活動することを基本にしますが、「ニーズのアセスメント(査定)と解決の提供」については、個々人バラバラです。「あらかじめ用意してあるレシピ」は、もちろん膨大にありますが、それらは一切役に立たない、という前提で、個人別にアプローチします。


不登校の就学児

「不登校」という言葉は多義的です。

研究者、教育関係者、行政などの間で統一した定義が存在せず、狭義から広義まで、幅広く用いられています。

ここでは「就学しており」(学籍あり)、「連続的あるいは断続的に欠席しがち」であり、「精神疾患以外の病気が理由ではない」「経済的理由でもない」、という定義を用いたいと思います。

この定義を採用する理由は、RyoJunKanがそのメンバーとして考えている、「サポートを必要とする不登校児童」とは、上記の条件にあてはまる児童だからです。

つまり、

  • 「登校するという行動が少ない」(ことで本人や家族が困っている)
  • 「登校するとデメリットがある」(だから登校しない)
  • 「登校しないとそのデメリットを避けられる」(というメリットが得られる)
  • あるいは「登校するより登校しないことによって得られるメリットのほうが大きい」

という状態(悪循環)に陥っているのが、RyoJunKanのメンバーとしてふさわしいお子さんです。

(残念ながら、学籍がないため登校したくてもできない、という「不登校」のお子さんは、社会的にはたいへん大きな問題ですが、RyoJunKanに可能なサポートを超えた支援を必要としています)


不登校のお子さんに対するうえで重要なことは、「なるべく学校へ行くように促すことを継続する」(学校なんか行かなくてもいいよ、と突き放さない)、なおかつ、「強制的に登校させてはいけない」――この2点です。

(もちろん、ご家族も、ご本人も、「学校には魅力がない」という点で合意し、納得の上で登校しないことを選択することは、尊重されるべきです。なにしろその場合「誰も困っていない」わけですから)


不登校の背景には、アスペルガー症候群(AS)のような高機能自閉症、社会不安障がい(SAD)、うつ、発達障がい(DD)、学習障がい(LD)、などの精神疾患が多く存在することが知られています。

またそれ以外に、いじめにあっただとか、非行や遊びのために登校しないだとか、あるいは様々な要因が複合的に組み合わされて、理由を特定できないとか、とにかく具体的ケースはさまざまです。

上述した精神疾患が疑われる時でも、本人に病識がない場合、強制的な通院・入院の措置は、強制的に登校させるのと同じ事ですので、逆効果です(ただし、状態によっては、緊急性が必要とされ、医療保護入院や措置入院が必要な場合があります)。

まずは本人抜きでも、精神科医やカウンセラーにご家族が相談するのが急務です。

とくにうつ病の場合、自殺の危険があります。


RyoJunKanでは、本人の「(学校じゃないけどどこかに)通う習慣」を強化し、「登校しないことで得られているメリット」を応用行動分析学(ABA)にもとづいてアセスメント(査定)します。

さらに、月に一度の「家族面談」を行うことで、家族アセスメントを行います。

そして、何より重要ですが、長期の不登校によって遅れてしまった分の「学習支援」も行います。

スタッフが行うこともあれば、他のメンバーが行う場合もあります(その必然性があるとスタッフが判断した場合です)。

RyoJunKanには、不登校の子どもだけでなく、ひきこもりの若者や、ニート・SNEPの青年(30代後半の「おじさん」かもしれません)など多様なメンバーがいますが、基本的にメンバーは「スクールシャドウ」を身につけており(これもABAにもとづきます)、「みんなが支援者」であることを心得ています。

そしてさらに、不登校児童としてメンバーになったからには、ご本人にも「スクールシャドウ」を身につけてもらいます!


ひきこもり

現在の「ひきこもり」という言葉の用法が生まれたのは、日本では平成に入ってからです。

比較的新しい概念ですが、平成も20年以上続き、「ひきこもりの高齢化」が問題視されています(当初は10代から20代の若者をターゲットにした言葉でした)。

じっさい、私(斉藤)が教えを請うたセラピストの先生の元に、50代男性のひきこもり事例が舞い込みました。

本人の姉妹が相談に訪れましたが、2011年の東日本大震災に際して、「男手が必要だ」とボランティアを頼まれ、ひきこもりから脱出してしまいました。


「ひきこもり」は単一の疾患や障がいの概念ではありません(国立精神・神経医療研究センター 精神保健研究所 社会復帰研究部 公開資料)。

「ひきこもり状態」を「問題」として考える人々によって構成されている概念です。

ところが、ここが重要なところですが、私たちは「ひきこもり状態」を「問題」だとは考えていません

問題なのは、ひきこもり状態にある本人が、「イライラする」とか「不安だ(怖い)」とか「惨めだ」といった感情を抱いている場合、それを社会的関係の中では解消する手段がないということです。

あるいは、もっと具体的に、本人が「こんな人生は嫌だ。何とかしたい」と考えているかもしれません。


ひきこもりに限らないことですが、私たちが重要視していることは、本人が困っているということです。

とかく世間では、ひきこもりのネガティブな未来像しか提示しませんが、ポジティブに覚醒し、ひきこもったままクリエイティブな活動をすることを「ひらきこもり」というそうです。

本人が「惨めなひきこもりはもう嫌だ、でもひきこもった生活は続けたい。だから『ひらきこもり』になりたいんだ」と望むなら、私たちはそのためのノウハウを提供します。

ご家族が「それでは困る」というのであれば、「それは家族内でのコミュニケーションが不足しているからではないですか?」と答えます。

そして、私たちは、家族内でのコミュニケーションがうまくいくための「解決策」も提供します(これは「家族療法」の分野に入っていきます)。


話題を「問題となっているひきこもり」に戻しましょう。

論者によって期間は異なりますが、私たちは、「3ヶ月間ひきこもり状態が続いたら精神科医に相談すべき」と考えます(これが「ひきこもり」の定義からは逸脱した、ちょっと過激なものであることを私たちは知っています。定義上、「6ヶ月以上継続」しないと「ひきこもり」とはみなされません)。

ひきこもりタイプの精神疾患は、長引けば長引くほど、こじらせてしまいます。

RyoJunKanと「ひきこもり」の付き合いは、私たちにとって、ひとつの課題でもあります。

なにしろ、本人がひきこもっているので、「通う」ことすらままならないのですから。

RyoJunKanには、「クールダウン・ルーム」が設置されています。

通ってきたとしても、他のメンバーに会いたくなければ、休憩していてもかまいません。

たとえ家にいるのと同じ状態だとしても、とにかく「外に出る」ことができているのですから、これは大きな進歩として賞賛されるべきです。

他のメンバーと顔を合わせることができるようになったら、「認知行動療法」プログラムへの参加をお薦めします。

ひきこもりの原因は、多様で複合的ですが、「認知行動療法」によって、「いまのままでは損をしている。なんとかしたい」と本人が思ってくれれば、個別のアセスメントがしやすくなります。


ニートとSNEP

NEET――Not in Education, Employment or Training――1999年にイギリスの社会的排除防止局で生まれた言葉です。

これもまた、日本では異なる定義がなされました。そして、現在も、年々定義が更新されています(2005年以降、家事を行わない既婚者もニートに含まれるようになりました)。


「ニート」概念が持ち込まれたことの功績は、なんといっても、それ以前は「無業者」といえば「学生か専業主婦か高齢者だろう」と思われていたところに、「じつは若年層にも無業者が多い」事実を知らしめ、政府の重い腰を上げさせたところにあります。

(じゅうらい、無業者を分類する方法として一般的だったのは、「完全失業者」と「非労働力人口」を分ける方法でした。15歳以上人口のうち、「就業者」と「完全失業者」を足したものが「労働力人口」で、「労働力人口」にしめる「完全失業者」の割り合いが「完全失業率」です)

(15歳以上人口のうち、「労働力人口」を除いた数が「非労働力人口」です。「非労働力人口」は「通学」「家事」「その他」に分けられます。1953年以来「家事」が最多数をしめてきましたが、2003年以降は「その他」が最も多くなっています)


以上のような功績があるにもかかわらず、ニート概念は非常に問題含みのものでした。

日本における定義の、最大の問題点は、「15~34歳に限定されていること」「家事手伝いは含まれないこと(厚生労働省の場合)」の2点です。

前者については、「ニートの高齢化」が把握できない点が問題です。もちろんたんなる「無業者」になってしまうのですが、「失業者」ではない点に注意するべきです。

ニートや失業者にはなんらかの対策が取られますが、無業者にはなんの対策もとられないのです。

本人あるいは家族が困っている、だけど公共のサポートはない、という状態です。


後者の、「家事手伝い」が厚生労働省の定義には含まれないことは、内閣府の調査との齟齬を生み出すことになりました。

(また、厚生労働省の定義では「ひきこもり」もニートに含まれるのですが、2010年に内閣府が初めて行った「ひきこもり全国実態調査」によれば、ひきこもりに該当するものは69.6万人いるとされ、厚生労働省の発表したニートの数33万人と矛盾する、という事態も発生しています)

とはいえ数字だけが問題なのではありません。非常に多様な「職業を持たない人々」のうち、「なんらかのサポートを必要とする人々」で、かつ、職業を聞かれて答えに窮して「家事手伝い(ないし結婚準備中)」と答える女性が多いことは容易に想像がつくからです。


玄田有史氏がイギリスの"NEET"(16~19歳)を、カタカナの「ニート」(15~34歳)に拡大解釈して輸入したのが2004年のことです。

その後日本では、「労働市場の矛盾をすべて棚上げして、若者の『内面』に帰属(attribution)することで老人が安心を得る切断操作(cutting-off operation)のための装置」として「ニート」という用語が用いられる事態が発生しました。

(「病気でもないのに他人に寄生して生きているなど、とんでもない話だ」[民主党(当時)・小沢一郎]、「自衛隊に入れてサマワに派遣させろ」[自民党・武部勤]、「ニート問題を解決するためには『徴農制度』を実施すべき」[自民党・稲田朋美]などの「若者の甘え」論ですね)

しかし、過去と比較して、ニートの数は、統計的に有意には増加していないのです(労働経済白書によれば2001年から2002年にかけて、いきなり15万人も増加しているように見えますが、これは当然2004年の「定義変更」によるものです)。

(さらにいえば、「徴兵制」のある韓国ではニート率がOECD諸国平均よりも高いそうです)


こうした現状を憂い、本田由紀氏らが「玄田有史悪玉論」を掲げて論戦をはり、「ニート論争」が起こりました。

たしかに、彼女らの「ニート論批判」は、「ステレオタイプな若者批判をする老人」を叩くことで溜飲を下げる効果がありました。

しかし、ただそれだけ、でもありました。つまり「切断操作」(老人悪玉論)であることには変わりがなかったのです。


彼女らの議論の最大の問題点は、「ニートの過小評価とひきこもりの過大評価」です。

「ニートよりもひきこもりの方が深刻」という記述さえあります。

私たちの立場からすれば言語道断の差別発言です。

「サポートを必要としている、多様な個々人が抱えている問題が、どれぐらい深刻か」など、計測することはできません。

必要なことは、「ニート」やら「ひきこもり」やら「家事手伝い」やらと、いろいろとラベルを付けられてはいるけれど、その当人が、「生きづらい」と感じていたり、「惨めだ」と感じていたり、「人生が変わればいいのに」と感じていたりするときに、その個々人に、個々に寄り添って、個々のニーズを見極めることです。

SNEPの登場

最近になって(2012年)、「ニート」という概念では「現実を把握できない」と考えた玄田有史氏が、SNEPという概念を提示しました。

玄田有史;高橋主光「孤立無業(SNEP)について-総務省『社会生活基本調査』匿名データによる分析-」というタイトルの論文です。

言葉として、初めて聞く方も多いことと思います。

現時点では、玄田氏らの研究以外の場所で、SNEPという言葉は使われていません。

また、できたばかりの言葉ですから、今後、広く用いられるようになるかどうか、わかりません。

まずSNEPという言葉の意味ですが:

  • 孤立無業=Solitary Non-Employed Persons

を意味します。

そして定義ですが:

  • 20歳以上59歳以下の在学中を除く未婚者で、ふだんの就業状態が無業のうち、一緒にいた人が家族以外に連続2日間いなかった人々

ここで急いで説明を加えなければならないでしょう。

「連続2日間って、いつのこと?」と思われるでしょうから。

この研究は、総務省によって5年おきに実施されている『社会生活基本調査』(1976年、1981年、1986年、1991年、1996年、2001年、2006年、2011年にこれまで実施されました)のうち、主に2006年調査をデータとして用いています(2011年調査はまだデータとして利用できる状態になっていません)。

この2006年調査は、同年10月20日時点で実施され、過去一年間の生活行動と、同年10月14日から22日のうち、指定された連続する2日間の生活時間についての回答が求められました。

というわけで、この「指定された48時間」が、「連続2日間」ということになります。

若干ややこしくなったので、整理しましょう:

  • 2006年10月20日を起点に過去一年間
  • 「ふだんの就業状態」は「無業」で
  • 「在学中」ではなく
  • 「未婚」で
  • 「20歳以上59歳以下」で
  • 指定された48時間のうち一緒にいた人が「家族」以外にいない

という条件に当てはまる人を、「SNEP(孤立無業)」と言います(「一緒にいる」には、電話やインターネットを通じた交流は含みません)。

なお、他の条件が同じでも、一緒にいた人が「家族」以外にいた人を「非孤立無業」といいます。

さらに、「孤立無業」でも、「家族と一緒にいた」人を「家族型孤立無業」といい、「家族とすら一緒にいなかった」(つまり一人でいた)人を「一人型孤立無業」といいます。


この論文のポイントは:

  • 壮年の無業者へと視野を広げた
  • 友人がいるかどうかなど、社会的リソースの配分に焦点を当てた
  • インターネットやゲーム、その他の生活行動の量を分析した

以上の3点にあると、私たちは考えています。

そして、私たちは「ニートよりもSNEPの方がはるかに有益な概念」だと考えています


ここでは簡単にSNEPの特徴をご紹介します(関心を持たれた方は、玄田さんのブログからリンクしている論文を読んでいただくか、私のブログで記事にした要約を御覧ください)。

まず、単純に「数」でいうと、2006年に、

無業者186.2万人
内訳
非孤立無業79.6万人
孤立無業106.6万人
内訳
家族型孤立無業83.9万人
一人型孤立無業22.7万人

となり、2006年時点で無業者のうち過半数以上が孤立無業であることがわかります。


次に、推移をグラフ化してみました。

SNEPの推移

まず、金融不況が起きる直前の1996年(アジア通貨危機が1997年)では、無業者数は120.4万人。うち孤立無業は61.3万人。

不況が深刻化し、年平均完全失業率が初めて5%台に突入した2001年。

不況が収束に入り、完全失業率が4.1%に下落した2006年。


ここからわかることは:

  • 10年間で孤立無業が45万人以上増加
  • 景気に並行するように、非孤立無業は減っている
  • 失業率の低下にもかかわらず、無業者全体数は増えている

このグラフだけでも、さまざまなことが想像できます。

「不景気の収束」と言っても、リストラをはじめとしたコスト削減によって、決算書が良くなったように見せかけていただけであったこと。

リストラによって「失業」した者のうち、無視できない数が「失業者」にならずに「無業者」になったこと。

そしてなにより、「孤立か非孤立か」によって、「失業者(ないし就業者)」=労働力人口に「包摂」されるのか、非労働力人口へと「排除」されるのか、が大きく影響してしまう、という事実。


次に、あまりお見せしたくないグラフをお見せします。

「求職活動と就業希望」について、「孤立無業」と「非孤立無業」にわけたグラフです。

質問項目は、

  • 仕事をしたいと思っており、仕事を探している
  • 仕事をしたいと思っているが、仕事を探していない
  • 仕事をしたいと思っていない

の3つで、上から「求職活動」(あり)、「就業希望」(あり)、「なし」に類型化したものです。

求職活動と就業希望、孤立と非孤立

非孤立無業と孤立無業とで、就業に対する意識が正反対なのがわかります。

しかし、本当にお見せしたくないのは、次のグラフです。

「孤立無業」のうち、「家族型」と「一人型」で分けたグラフです。

これを読み間違えると、とんでもない偏見がひとり歩きしてしまいます。

求職活動と就業希望、家族型と一人型

同じ孤立無業でも、「一人型」は「非孤立無業」と同じ傾向なのに対し、「家族型」はそれと正反対の傾向があります。

ここから想像できることは(立てられる仮説は):

  • 一人型は、働く必要性に迫られている
  • 家族型は、仕事をしたい・したくない以前に、「家族で守る必要がある」タイプである
  • 一人型は、孤立はしていても、求職活動をするなど、「1人で生存することができる」タイプである

これを読み間違えて欲しくないのは、「一人型孤立無業のほうが求職活動をするのであれば、やはり親は子どもを家から追い出すべきだ」という誤った「結論」を導きかねないからです。

そのような「結論」に飛びつきたくなる気持ちはわかります。

しかし、そうではないのです。順番が逆なのです。

家族型孤立無業だから就業希望がないのではなく、就業希望を抱けないほどに「家族に包摂されていなければ生存すら危うい」から、結果的に「家族型」に分類されているというだけなのです。


最後に、そのことを裏付けるかもしれないデータをお見せします。

じゅうらいの、「ニート」にあった、「ネット中毒」「ゲーム三昧」というイメージは実態に合っているでしょうか。

まずインターネットの利用について見てみます。

「孤立」を定義する、(調査の48時間に)「一緒にいた」人には、電話やインターネットでの交流は含みませんでした。

しかし、もし実際には誰にも会っていなくとも、インターネットで誰かと交流しているならば、孤立しているとはいえません。

次のグラフは、「過去一年間に電子メールを利用したことがある」という質問項目を分類したものです。

電子メールの利用

まず未婚の有業者と比較して、無業者は全体的に電子メールの利用経験が少ないことがわかりますが、同じ無業者であっても、「非孤立」と「孤立」では、利用状況が正反対であることがわかります。

次に、「孤立無業」内部で、「一人型」と「家族型」に分けた上で、有意性検定を行った結果を表にしました(「少ない」とか「長い」とか断定している部分は、「統計的に有意であった」ことを意味します)。

一人型と家族型の生活

ここからわかることは、有意に「電子メールの利用経験が(非孤立無業と比べて)少ない」と言えるのは、孤立無業のうち、「家族型」だけであることがわかります。

なお、この表は、玄田論文第9節を要約するために作ったため、「テレビの視聴時間」「睡眠時間」も入っています。そこからは、孤立無業は非孤立無業と比べて、テレビの視聴時間も睡眠時間も長い、ということがわかりますが、(48時間のうち)「テレビ」は約132分、「睡眠」は約28分長いというだけです。


そして「テレビゲーム・パソコンゲームの年間利用頻度」についてみると、(これは文章だけで済ませますが)孤立無業でない者に比べて、

  • 孤立無業はゲームをしない傾向にある
  • とくに家族型の場合ゲームをしない傾向にある
  • 過去一年に「スポーツ、旅行・行楽、ボランティア活動」といった「社交活動」を行なっていないものほど、ゲームをしない傾向にある

という結果が出ています。

やはり、じゅうらいの、「ネット中毒」「ゲーム三昧」という偏見は嘘だったようです。


そして、ショッキングで悲しい事実ですが、孤立無業であることは、さまざまな生活行動に対して、全般的に消極化させる方向に働いています。

「過去一年間の経験の有無」をみると:

  • インターネット
  • 学習・研究
  • ボランティア活動
  • スポーツ活動
  • 趣味・娯楽
  • 旅行・行楽

のすべてを、抑制する傾向にあります。

これを「家族型」と「一人型」で分けてみると、「インターネット」と「学習・研究」は一人型において抑制されていないのに対し、家族型ではすべての項目で抑制されています。


まとめると:

  • ネットもゲームも趣味も旅行もするし、ハローワークにも行く「非孤立無業」(=リア充型無業)
  • ネットと学習・研究はするが、スポーツ・趣味・旅行はしない「一人型孤立無業」(=無縁型無業)
  • 全般的になにもしない「家族型孤立無業」(=抑うつ型無業)

と類型化できそうです(乱暴に過ぎることは承知しています)。


なにも、「リア充だから非孤立無業はRyoJunKanにこないでくれ」と言いたいのではありません。

非孤立無業と類型化されていても、各個人の抱えている問題や悩みは、それぞれ異なっていることでしょう。

RyoJunKanは「家族療法」をベースにしているため、「家族に守られながらも、誰とも結びつくことができず、何も活動ができない状態」にある家族型孤立無業に思いを馳せると、胸が痛くなるのです。

まさしく、この事業を計画する直前までの、私[斉藤]の姿そのものです。

なんとなく、でいい。

SNEPという新しい概念について解説したため、大きくスペースを使ってしまいました。

では、ニートであれSNEPであれ、RyoJunKanのメンバーとしてふさわしいのは、どのような人々でしょうか。

「ニート」=「ひきこもり」ではないので、多くのニートは、職にもつかず、かといって鬱々とひきこもっているわけでもありません。したがって、怠けてチャラチャラ遊んでいる大層なご身分、というイメージが付きまといがちです。

統計データからは、個々の実態が読み取れません。

ほんとうに実家が裕福で、働く必要がないからニートをしているのか(この場合なんの問題もないわけです)、たんに「外出することはできる」というだけで、「就職する」ことに対する恐怖心があって、内心は「困っている」のか。

もちろんRyoJunKanは、後者の「困っている」人々をサポートすることを目的としているのですが、本人にも「病識」がなく、「なんとなくニートをしている」という方が多いのではないでしょうか。

「なんで自分はニートなんだろう?」と疑問に思ったら、RyoJunKanを訪れてみてください。いっしょに考えてみましょう。

「ニートなのはしょうがない。自分は『コミュ障』だもの」(『コミュ障』とは『コミュニケーション障害者』を意味するインターネットスラングで、アスペルガーなどを差別的によぶときに使われます)、という「病識」があったら、RyoJunKanで、もっとその「自己の困難」を明確にしてみませんか?

抱えている困難が明確になれば、対処法も明確になります。

「現状をなんとかしたい」とさえ思っていれば、専門スタッフが、「なんとかする」お手伝いをします。


RyoJunKanでの一日

RyoJunKanでは、個々に合わせた個別プログラムを組むことができます。

したがって、はっきりとしたタイム・スケジュールをあらかじめ決めることはできません。

メンバーによって、日々異なります。

ここでは、「不登校の小学生」「ひきこもりの22歳女性」「ニートの29歳男性」の3人のケースを例にあげてみます。

不登校の小学生
時間月・水火・木
午前認知行動療法
グループワーク
認知行動療法
グループワーク
認知行動療法
グループワーク
午後1学習支援
スタッフ担当
SST学習支援
スタッフ担当
午後2プレイセラピー学習支援
メンバー担当
個別面談
(*月一回)
ひきこもりの22歳女性
時間月・水火・木
午前認知行動療法
グループワーク
休暇認知行動療法
グループワーク
午後1アサーション
トレーニング
休暇アサーション
トレーニング
午後2プレイセラピーの
パートナー
休暇個別面談
(*月一回)
ニートの29歳男性
時間月・水火・木
午前認知行動療法
グループワーク
認知行動療法
グループワーク
認知行動療法
グループワーク
午後1アサーション
トレーニング
SSTアサーション
トレーニング
午後2ジョブ・トレーニング不登校メンバーの
学習支援
個別面談
(*月一回)

個別面談がない金曜午後2は、レクリエーションなどを行います。


家族療法とは?

RyoJunKanの特徴のひとつが、家族療法(家族心理学)をベースとしたアプローチを採用している点です。


精神分析学者フロイトが心理療法を発明して以来、100年以上、臨床心理学は発達を遂げてきました。

おなじみの、「カウンセラーのもとへクライアントが出向き、(催眠などの特殊技術で)心理的困難の『原因』となっている『トラウマ』を告白する」というものです。


形態は様々ですが、基本的には、1人のカウンセラーと1人のクライアントによる個人面談です。

薬物療法による「治療」だけでは、精神的な困難を克服することは難しかったのですが、心理療法(精神療法)を併せて受けることで、目覚ましい回復が期待できるようになりました。

これは素晴らしいことです。


しかし同時に、この「個人面談」という形態の抱える「困難」も明らかになってきました。

クライアントはカウンセラーとの面談で、元気をもらいます(エンパワーメント)。

晴れやかな気分でクライアントは帰宅します。

ここでクライアントは「変化」しているのです。

しかし、帰宅してみると、そこには「変化」のない、以前と変わらぬコミュニケーション・システム、つまり「家族」が待っています。

せっかく変化したクライアントが、以前と同じコミュニケーション・システムへと戻っていく事で、再び以前の状態へと「回復」してしまいます。

これをシステム理論の用語で「ホメオスタシス(恒常性)」といいます。

生物を代表としたシステムは、環境の変化にかかわらず、内部的一貫性を保つような機構を、その内部に備えているのです。


このような困難に気づき、アプローチを一変させるムーブメントが、臨床心理学の内部で生じます。

1950年代に誕生した「家族療法」がそれです。

簡単に言ってしまえば、「個人を変えても元に戻ってしまうなら、家族ごと変えてしまい、元に戻らないようにしてしまえば良い」という考え方です。

家族療法にとって、クライアントは家族です。

いままで「クライアント」とよばれてきた「困ったことを抱えた個人」は、「IP (Identified Patient;患者とみなされた人物)」とよばれます。

「IP」は、たんに家族のコミュニケーション・システムが抱えた「問題」が、たまたまその人物において露呈してしまった、というだけの、いわば、「クライアントの代表」にすぎません。

治療対象は、家族なのです。

ほんとうに問題を抱えているのは、家族の方なのです。

「家族療法」の詳しい内容については、RyoJunKanと併設される予定のカウンセリング・ルームKoJunKanのページを御覧ください。


家族療法は、たんに「家族面談」を行う(カウンセラーも複数人からなるチームです)というだけでなく、アプローチの面で、従来の心理療法(精神療法)とは異なります。

例えば、従来の心理療法が、「トラウマ」などの「過去」の「原因」を発見して、それを取り除く、という方法をとってきたのに対し、家族療法では「現在問題になっていること」を注視し、「どうすれば問題が減るか」を探ります。

いわば「過去志向」から「未来志向」への転換です。

「問題の解決」を重視する点で、これを「解決志向アプローチ(ソリューション・フォーカスト・アプローチ)」といいます。


「解決志向アプローチ」は、延々と面談を繰り返していく従来の方法とは異なり、面談(セッション)の回数を限定し、比較的短期間のうちに「問題解決」へと導く、という方法をとります(もちろん、ある問題が解決してみたら、別のある問題が浮上してきた、ということはよくあることですが)。

これを「短期療法(ブリーフ・セラピー)」といいます。

RyoJunKanでは、毎日の生活で「短期療法」を行い、さらに、月に一度の「家族面談」を行います。

もちろんこれは、たんに「治療」という目的のためだけでなく、「IP」を支援していくために、家族と本人とスタッフで意思を共有しあうという目的も持ったものです。


応用行動分析学とは?

心理学の伝統のひとつに、「行動主義」というものがあります。

ひどく単純化して言えば、「心理学は心という眼に見えないものを研究するけれども、眼に見えないものを分析したり吟味したり、量的に測ったりすることはできない。だから、『行動』という眼に見えるものを取り扱うことで、間接的に心を研究するべきだ」というものです。

そうすることで、「心について考える」という「文学的」なものから、「行動を量的に計測して研究する」という「科学的」なものへと、心理学は転換することをはかりました。


れいによって、「行動主義」もその内部で発展を遂げ、「新行動主義」や「ラディカル行動主義」などの学派へと先鋭化されます。

これらを総称して「行動分析学」とよびます(学問的には、フロイトやユングのような精神分析学に対抗する形で生まれました)。


さらにこれを、臨床的に「役立つように」応用したものを、「応用行動分析学(ABA)」といいます。

ABAによる「スクールシャドウ」は、実際に幼稚園や保育園、学校などの、集団生活の場で、「困った子ども」を支援するのに役だっています。

「困った子ども」というのは、アスペルガー症候群などの高機能自閉症、注意欠陥多動性障がい(ADHD)などの発達障がいの児童です(これらの生徒は知能指数が低くないので、いわゆる「特別学級」ではなく通常学級に所属しています)。

「スクールシャドウ」というのは、まさに「シャドウ(影)」のように生徒に寄り添って、影から生徒をサポートする方法論です。


「シャドウ」となる行動セラピストが行う「接し方」を、クラスメートや担任の先生は観察することができます。

そして、行動セラピストは、はじめのうちは積極的にサポートを行いますが、クラスメートや先生方がその接し方を学び、それを実践できるようになってきたら、かかわりを減らしていきます。

最終的には、当事者の生徒が、集団生活に包摂されるようになったのを見届けて、完全にサポートから身を引きます。

この、「徐々にかかわりを減らしていく」という点が、重要です。

当事者の生徒が、集団に包摂されるように、(その生徒だけでなく)環境も変えていくことが目的だからです。


ABAの強力なツールのひとつが、「ABC分析」です(他のツールについてはおいおい紹介します)。

まず、「ABC」のB=Behavior(行動)に注目します。

このB「行動」が、この生徒の場合、なぜ人より多い(あるいは少ない)のだろう?(たとえば「友だちの頭に砂をかける」)

次いで、B「行動」に先行するA=Antecedent「先行刺激」を発見します。

B「行動」が生じるとき、それにA「先行刺激」が先立って生じている!(たとえば「先生のかかわりが少ない」)

さらに、B「行動」を行うことで結果的に生じるC=Consequence「後続刺激」を発見します。(たとえば「先生が『ダメでしょ○○ちゃん』といってこの子を別の場所へ抱きかかえていく」)

ああ、B「行動」が増える(あるいは減る)のは、Aという状況をCという状況へと導くことができるというメリットがあるからだな、つまり、B「行動」が強化されるのだな――とABAでは考えます。

(「強化」という用語が出てきたついでに述べますと、「行動主義」の理論は「学習理論」を出自としており、人間や動物の学習過程を研究する、心理学の一分野です)


B「行動」の強化を解除するには、

  • [1] B「行動」を行わなくても、メリットであるC「後続刺激」が得られるようにするか
  • [2] そもそもA「先行刺激」が生じないようにするか
  • [3] B「行動」以外のB'「行動」を行ったほうが、よりよいC'「後続刺激」が得られるようにするか

などなど、いろいろと考えられます。

ABAについてのさらに詳しい内容については、RyoJunKanに併設される予定のカウンセリング・ルームKoJunKanのページを御覧ください。


認知行動療法について

「認知行動療法」という言葉自体は、いまや流行語となっているので、テレビなどで聞いたことがあるかもしれません。

「認知行動療法」は、その名の通り、「認知療法」と「行動療法」を総称したものです。

「家族療法」の解説のところで、「解決志向アプローチ」を紹介しましたが、これもその一種といってもよいかもしれません。


「心に抱えた困ったこと」の、「原因」となっている「トラウマ」(過去)を取り除くというアプローチではなく、「現在の『認知のパターン』や『行動のパターン』を変えることで、困ったことを固着させている『悪循環』を断ち切る」というのがコンセプトです。

臨床心理(心理療法・精神療法)の世界では、いまや、「選択肢のひとつ」ではなく、「なにはともあれとりあえず『認知行動療法』、それからそれに加えてどんな選択肢があるだろうか」という風潮になっています。

この「なにはともあれ」という風潮に問題がないわけではないですが、「とにかくよく効く」ので、現在そのような風潮になっていることは理解できます。

なにしろ、うつ病や神経症だけでなく、ADHDから統合失調症まで、何にでも効くのですから。

失恋にだって、マリッジ・ブルーにだって効きます。

日常生活に欠かせないツールになってきていますね。


具体的にRyoJunKanで採用する認知行動療法のプログラムは、2種類あります。

ひとつめは、毎日提出する「できたこと、楽しかったこと」日誌。

できた「CAN」と楽しかった「FUN」を、それぞれひとつ以上、毎日発見してもらいます。

これは宿題なので、これだけで、「行動パターン」も「認知パターン」も変わります。

さらに、この「できたこと、楽しかったこと」日誌を、グループのメンバーみんなで評価します。

「よかったね!」「すごいね!」「自分もやってみたい!」という評価を得ることで、さらに「パターン変化」が強化されます。


ふたつめが、テキストの輪読です。これは少々負荷がかかります。

なにしろ、デヴィッド・バーンズ著『いやな気分よ、さようなら』という、800ページを超える(!)テキストを、机を囲んで、みんなで読むのですから。

もちろんこうした「お勉強」のようなことが苦手な方は、途中立席して、クールダウン・ルームで休憩してもかまいません。

このテキストは、たんに「認知行動療法」を解説したテキストというだけではありません。

このテキストを読むだけで、「認知行動療法」を受けたのと同じかそれ以上の効果を得られるという臨床結果も出ているのです。

いわば、この輪読プログラムは、「読む認知行動療法」といってもいいでしょう。

認知行動療法についてのさらに詳しい内容については、RyoJunKanに併設される予定のカウンセリング・ルームKoJunKanのページを御覧ください。


アサーション・トレーニングについて

「コミュニケーション・スキル」が大事だ。とよく言われます。

新卒雇用を担当する人事部担当者のほぼ100%が、「もっともよく重視する」項目として、「コミュニケーション・スキル」をあげています。


ところで「コミュニケーション・スキル」ってなんでしょうね?

コミュニケーション・スキルについての話題を家族会などで取り上げると、きまって 「わたしも人見知りで口下手だから営業職には向いていない」とおっしゃる親御さんがいらっしゃいます。

じゃあ、営業職の方々は、みんな人見知りせず、口が達者なのでしょうか?

私たちが考える「コミュニケーション・スキル」とは、「人見知りしない」とか「口が達者」とかといったこととは、まったく異なります。


たとえば、「おはよう」「こんにちは」といった言葉が、「相手に届く」。

たとえば、とくに口を開かなくても、いっしょに場を共有する人たちが嫌な気分にならない。

たんじゅんに、それだけのことなのです。

たったそれだけのことができなくて、私たちは苦しんでいるのです。

コミュニケーション・スキルを磨くために、RyoJunKanのメンバーを街に連れ出し、ナンパの修行をさせる、といったスパルタ教育をするわけではありません (もちろんナンパの修行は非常に人間を磨き上げます)。


あまり知られていない言葉ですが、「アサーション・トレーニング」を行います。

目標は簡潔で、「アサーティブなコミュニケーションができるようになること」です。

「アサーティブなコミュニケーション」とは、たんに「相手を大事にする」だけのコミュニケーションではありません (それではただ、相手に従属しているだけになってしまいます)。

「アサーティブなコミュニケーション」とは、「相手も大事にし、さらにそれに先だって、自分を大切にするコミュニケーション」のことです。

順番が重要です。「相手を大事にし、自分を大事にする」のではなく、「自分を大事にし、それから相手を大事にする」のです。

難しいですね。

でも、いっしょに学んで行きましょう。

ここで使うテキストは、認知行動療法のときとは違って、薄くて易しいです。

平木典子先生の『アサーション・トレーニング ―さわやかな〈自己表現〉のために』を使います。

平木先生は、日本にアサーション・トレーニングを紹介した第一人者です。

家族心理学を日本に導入した第一人者でもあります。


ソーシャル・スキル・トレーニングについて

「ソーシャル・スキル・トレーニング」、よく「SST」と略されます。

認知行動療法の一種で、学校教育から統合失調症の治療まで、幅広く利用されています。

SSTももちろん、「社会人のマナー」といったこととは関係がありません。

幼児教育においては社会性を身につけるためのトレーニングとして。

成人においては精神障がい・認知障がいのリハビリテーションとして。

よく「生活技能訓練」などともよばれます。


SSTの弱点として、「ホームワークとフィードバックが難しい」と言われます。SSTを行い、学習をしても、その学習を定着させるための適切な強化と消去が行われなければならないのに、帰宅すると、いつもの生活空間では、そのような適切さを求めることが難しい、というわけです。

(「強化」と「消去」という専門用語が出ました。「ABAとは?」のコーナーで出てきた、「学習理論」の用語です)

しかし、「家族療法」の解説で述べたように、RyoJunKanでは、家族ごと巻き込みます。

いわば「家族がクライアント」なのです。

したがって、こうしたSSTの弱点を、私たちはあらかじめ克服しているといえます。

SSTのさらに詳しい内容については、追ってこのページで更新していきたいと思います。


ジョブ・トレーニングについて

ハローワークから検索できる「公共職業訓練」にはさまざまな種類があります。

全国を、全期間にわたって視野に入れれば、「教育機関が存在していれば、学べないものはない」と言っても、ほとんど過言ではないと言えます。

ただし、それは、「全国を」「全期間にわたって」探した場合です。

福島県にかぎって、そして、私がこの文章を書いている時点での検索によれば、募集している職業訓練機関は、製造業関連か、電気通信の施工事業に関するものしかありませんでした。

この文章を書きはじめるとき、「『WordとExcelが使えるようになる』だけで、雇用されると思いますか?」

と書こうと思っていました。

現実はもっと厳しいですね。WordもExcelも、福島県に住民票を置く限り、無料で学ぶことはできません。

さらにいえば、たとえ学んだとしても、雇用に結びつくのは難しい、というのが現状です。


RyoJunKanでは、2つのメイン・プログラムを用意しています。

ひとつめが、パソコン・インターネット好き向けの、LPIC Level3取得コース

ひきこもりであれニートであれ、若者の多くは、インターネットを通じて社会と接点を持っています(家族型SNEPはインターネットを利用しない傾向にあることが知られていますが)。

Microsoftのビル・ゲイツは軽度のアスペルガー症候群ですし、Microsoft社のプログラマーの25%がアスペルガー症候群であるか類似のタイプであり、NASAにも多くのアスペルガー症候群のエンジニアがいます。

FacebookのCEO、ザッカーバーグが映画でアスペルガーのように描かれていたのも記憶にあたらしいところですが、アスペルガー症候群とコンピュータ・プログラミングの親和性は、しばしば指摘されるところです。

もちろん、「アスペ」=「変なやつだけれど異常に天才的な部分を持っている」というステレオタイプに与してはいけないのは、当然のことですが。

RyoJunKanの「ジョブ・トレーニング」プログラムでは、思う存分パソコンに向き合うことができ、そこからさらなる社会との接点を作り出すことが可能です。

LPIとはLinux Professional Institute(NPO法人Linux技術者認定機関)で、LPICはLinux技術者認定制度です。

LPIC Level2で「即戦力」といわれますので、Level3は、「まさにプロ」というわけです。

金融機関を始め、いまや世界中のサーバーがLinux上で動いており(あなたが見ているこのWEBサイトもそうです)、世界中のあらゆる企業が欲している技術者が、Linux技術者です。

サーバーとしてだけでなく、ソフトウェアの開発プラットフォームもLinux中心ですし、事務用デスクトップとしてLinuxを採用する法人は、公共団体を中心に増えてきています(なにしろ無料で、安全で、保守もしやすいので)。

資格としてのLPICは、「最もキャリアアップにつながった資格No.1」「最も実務で生かせた資格No.1」「取得したい資格6年連続No.1」です(@IT自分戦略研究所2011年調査)。

Linuxをインストールするところからステップ・バイ・ステップで学んでゆき、様々なプログラミング言語でプログラムを書き、サーバーの構築・運用・管理までできるようになってもらいます。

とはいえ、RyoJunKanのメンバーの多くは、発達障がいなどの精神疾患を抱えた、「理解されにくい」立場にいます。

まだまだ日本の企業では、発達障がい者を雇用する素地が、できあがっているとはいえません。

RyoJunKanVirtuousCycle Inc.傘下の連結子会社ですが、同系列のIT部門子会社として、VCwareというWEB開発事業を立ち上げています。

LPIC Level3を取得し、RyoJunKanを「卒業」できるときには、VCwareの正社員になっていただくことも可能です。


メイン・プログラムのふたつめは、TOEIC900点取得コース

TOEICは、日本で知らない人はいない、英語コミュニケーション能力検定試験です。

新卒雇用に際して、最低足切りラインが600点と言われます(外資系が730点)。

つまり、大学卒業生が「もっていて当たり前」の検定免状がTOEICだというわけです。

とはいえ、世界中で英語を学習している人々はたくさんいますが、TOEICを受験する英語学習者の9割以上が、日本人か韓国人です(6割が日本人)。

つまり、世界的にはまったく無名の検定試験と言ってもいいでしょう。

また、TOEICで900点をとれたからといって、英語でビジネス会話ができる証明にはなりません。

現に、990点(TOEICの実質満点)取得者で、一言も英語を話せない、というひとはざらにいます。

私たちは、TOEICで900点を取ることを、直接雇用に結びつけるというよりは(結びつきますが)、「自信を持つ」「自尊心を持つ」「できる!という感覚を持つ」ための、トレーニングの一環として捉えています。

ですから、これはジョブ・トレーニングというより、認知行動療法の一種、だと考えてください。


他にも、メンバーの要望に応じて、様々なプログラムを用意することが可能です。

とはいえ、GIMPやInkscapeなら用意できますが、(予算の都合上)PhotoshopやIllustratorまでは、厳しいです(Microsoft社やAdobe社からの寄付・援助が受けられれば良いのですが……)。


RyoJunKanについて

RyoJunKanは、2013年に開始予定です!

場所は、郡山市富田町近辺になる予定です!


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